紫井戸と片目鮒の井戸

皆さん、松山市内には不思議な井戸があるのをご存知でしょうか?
「紫井戸」と「片目鮒の井戸」と呼ばれる井戸があります。
伊予節の歌詞にも詠まれています。

伊予節
愛媛県
■歌詞
伊予の松山 名物名所 三津の朝市
道後の湯 おとに名高き五色ぞうめん
十六日の初桜 吉田さし桃こかきつばた
高井の里のていれぎや 紫井戸や
片目鮒 うすずみ桜や 緋のかぶら
ちょいと 伊予絣

伊予の 道後の名物名所 四方の景色は
公園地 音に名高き 紅葉の茶屋に
意気な料理は かんにん桜
道後煎餅や 湯ざらし艾
お堀の渕の川柳 冠山や玉の石
さても見事な 碑文石
ちょいと 見やしゃんせ

竹に節あり 枝にも小ぶし
端唄伊予ぶし 竹尽くし 主は若竹
日頃寒竹 ぐちを云うのが 女子竹
孟宗淡竹の竹までも 義理を立て抜く
男竹 雪折れ笹や 黒竹に せめて
寝ざさは七夕の ちょいと 一夜竹

紫井戸の伝説

 紫井戸は、昔から「松山の七不思議」に数えられ、「伊予節」に歌われて、人々に親しまれてきた井戸である。
 この紫井戸という美称の由来は、二説あり、その一つは井戸の水が常に紫色に見えていたことによるという。
その二つは、水質の良い、この水を使って醤油を作ったので、醤油の呼び名の「むらさき」の井戸と呼ばれるようになったというのである。
 『松山有情』(佐々木忍)によると、「このあたりは水の豊富なところで、大正の末期ころまでは、地下水が自噴していた」とあり、この紫井戸もあふれるほどの水量があったと伝えられている。
 すぐ近くの「片目鮒の井戸」と地下の水路でつながっていて、「片目の鮒」が泳いでいるのを見たという話も残っている。日露戦争で松山の捕虜収容所にいたロシア人が、この井戸水を好んで飲んだともいわれる。(松山市教育委員会)

紫井戸
紫井戸
紫井戸
紫井戸
紫井戸の立札
紫井戸の立札

片目鮒の井戸の伝説

 弘法大師が四国巡礼の旅で紫井戸の近くを通り過ぎようとすると、ある家の庭先で一人のおばあさんがフナを料理していました。
 包丁で生きたまま片身をそがれたフナは、残った半身をピクピクと動かしながら悲しそうな目を大師に向けました。
(うむ。ここで出会ったのも何かの縁か)
 大師はお金を取り出すと、おばあさんに言いました。
「その片身のフナを売ってくれませんか? 片身ではあるが生きたまま逃がしてやりたい」
「はあ? これを逃がす?」
 おばあさんは首をかしげながらも、片身になったフナを大師に売ってやりました。
(このお坊さん、頭がおかしいのでは? 片身のフナを逃がしたところで、すぐに死んでしまうのに)
 ところが不思議な事に、大師が片身のフナをそっと川へ逃がしてやると、片身になったフナは一生懸命に紫井戸につながる川を泳いでいきました。
 そしてきれいな水の湧き出る紫井戸を自分のすみかにして、元気に子孫を残していったのです。
 ある日の事、フナを大師に売ったおばあさんが紫井戸を覗いてみると、なんと井戸の中にいるフナは全部片目のフナだったそうです。
(情報元:紫井戸の片目ブナ 弘法話 愛媛県・松山市の民話 <福娘童話集 きょうの新作昔話>

この井戸は民家の敷地内にあるため、勝手に入ることができません。そのため、写真撮影することができませんでした(^_^;)

片目鮒の井戸があるお宅
片目鮒の井戸があるお宅

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